第一章 The Great Journey
遺伝学的推察 ~ 現生人類のリーダー 星帝と約束の地 日本
現生人類Homo Sapiensは20万年前にアフリカで出現しました。遺伝学の発展によりハプログループ解析が可能となり、Homo Sapiensの拡散経路が解明されつつあります
※ハプログループ分類には、母系遺伝のミトコンドリアDNAと、男性のみが有するY染色体の2種類ある。また、新分野のためしばしば定義や呼称が変更され、混乱しやすいため注意が必要
10万年前に第一次出アフリカが起こり、南アジアやオセアニアに広がっていきました。6万年前の第二次出アフリカが、Homo Sapiensの中心集団だったと推測されています
第二次出アフリカ隊にリーダーがいて、未知の世界を闇雲に彷徨ったのではなく、当初から目的を持って移動した可能性も考えられます
※第二次出アフリカ隊にリーダーがいて目的持っていたのか、それともリーダー不在で目的などなかったのか、証明も反証もできない。立証可能な学術的テーマではないため、七夕伝説の新解釈を、歴史学の新仮説としてではなく、フィクションの物語として提唱することとした
第二次出アフリカ隊は中東で東西に分かれ(欧亜分派)、ハプログループD系統はチベットから極東に進みました
西に向かった集団からハプログループC系統が派生します。このグループの分布と近似して中央アジアや中東、欧州にかけて”東方の星”伝承が残されました
旧大陸の東端である古本州島にHomo Sapiensが到達したのは4万年前でした。まもなく日本固有のY染色体ハプログループD1a2aが発生し、原住の縄文人となります
『新釈 七夕物語』では、この集団を星神部族と考え、その長を地上の統率者 星帝と呼びます
現在の日本人は、日本固有のハプログループD1a2aだけでなく、C系統やO系統等、異なる年代に流入した多様な遺伝集団で構成されていることが判明しています
日本人の遺伝的多様性の理由は、争いが少なかった日本列島が、時代時代の東アジアの混乱から逃れた人々のシェルターになったというのが通説です
シェルターという消極的な側面も否定できませんが、『新釈 七夕物語』では、古本州島が”日立つ処”という目的地であったため、まずリーダーが到達し、その後を追って多様な集団が入植したと考えます
つまり、日本列島のある場所が現生人類の約束の地であったために、様々な集団構成になったという積極的な解釈です
黒曜石の流通
3万8千年前の伊豆神津島の黒曜石が本州側で出土しています。神津島は氷河期でも陸続きになることはありませんでした
ハプログループD隊は、6万年前に紅海を渡って出アフリカを果しており、古本州島へ到達した当初から外洋航海能力を有していました
リーダー率いる航行能力が最も高い本隊が、旧大陸の最果てまで東進し、目的地であった日立つ処に到達したと考えることもできます
加工しやすく鋭利な石器となる黒曜石は、神津島産や長野県和田峠産のものが中部地方から東北にかけて流通していました。その中心にいたのが星神部族だったと思われます
縄文期の遺跡及び貝塚の分布。関東の人口密度が最も高かったと考えられています。
【出典:枝村俊郎・熊谷樹一郎、縄文遺跡の立地性向、GIS-理論と応用vol.17 no.1、2009】
縄文土器
後期旧石器時代に分類される1万6千年前後に、世界に先駆けて日本や中国南部といった東アジアで土器が出現します
最も早く出現した日本の土器は、驚くほど装飾的に進化します。火焔型土器や縄文のビーナスといった土偶は、生活必需性を遥かに超越した芸術作品と言えます
近年世界的に注目される縄文土器ですが、なぜこのようにダイナミックで官能的な方向に進化したのか、その原動力はわかっていません
土器製作のピークは5000年前頃の縄文中期でした。製作者が星帝(牽牛)に献上するため、見てもらいたかったために芸術的な発展を遂げたのかもしれません
魅せられて、魅せたくて。Attractive & Locomotive
そこに、星帝の存在を垣間見ることができないでしょうか
参考文献
- 世界神話学入門:後藤明 著、講談社現代新書、2017年12月
- DNAでたどる日本人10万年の旅:崎谷満 著、昭和堂、2008年1月
- 日本人はどこから来たのか?:海部陽介 著、文春文庫、2019年2月
- 海の古代史:布施克彦 著、彩流社、2018年5月
- 日本の起源は日高見国にあった:田中英道 著、勉誠出版、2018年1月
- 縄文の列島文化:岡村道雄 著、山川出版社、2018年7月
- 縄文時代の歴史:山田康弘 著、講談社現代新書、2019年1月
- 図解 日本古代史:水野大樹 著、スタンダーズ株式会社、2018年6月