第一部 初代牽牛 海面上昇により中国史から失踪 

挿話エピソード 天とカササギと私

魏志倭人伝の使者 梯儁ていしゅんが九州に上陸した1800年前、本当に、倭国にカササギはいなかったのでしょうか?

現在の日本では、佐賀平野を中心とした北部九州と、北海道に生息しています

九州と北海道の個体群は、DNA鑑定により別系統と判明しており、北海道の個体群は近年ロシア方面から渡ってきたものとされます

朝鮮半島に多数生息しており、韓国では非公式ながら国鳥に指定されて親しまれています。ソウルには七夕伝説にちなんだ”烏鵲橋オザッキョ”という地名もあります(日本語読みでは”うじゃくきょう”)

一説によると、北部九州のカササギは、16世紀末の朝鮮出兵の際に、肥前の実質的領主鍋島直茂なべしまなおしげが持ち帰ったと言われます

個人的には、私はこの逸話に懐疑的です

カラスの仲間のカササギは長距離飛行に適していませんが、朝鮮半島ー対馬ー壱岐の間はそれぞれ50㎞で、上空からずっと陸を視界に入れつつ飛ぶことができます

カラスの仲間でも、ミヤマガラスなどは越冬のため大陸から日本列島へ渡りをします。そこに混じって、カササギも迷鳥としてやってきたのではないでしょうか

北海道の個体群も、船に乗ってではなく、自力でロシアから飛来したと推測されています

私は、平塚に転入する前は長年福岡に居住していたため、カササギを目撃したことがありました

また、筑後平野の真ん中の福岡県小郡市に七夕神社があることも知っており、2008年8月には同社の七夕祭に参拝しました

平塚に転入してから2年後の2018年秋に、牽牛が日本にいたのではないかという新解釈を思い至った時、各種文献を調べるうちに魏志倭人伝の記事に突き当たりました

”倭国に鵲無し”という一見意味不明の情報に、隠された七夕伝説の影を見たのです

それとともに、倭国にも鵲はいると、記事内容に反発を覚えました

成立から1800年が経過しているものの、魏史倭人伝の認識そのものを訂正せねばならないと感じたのです

福岡に鵲がいます
福岡に七夕神社があります
では、七夕神社に鵲はいるのでしょうか?

確認のため2018年11月2日、10年ぶりに福岡県小郡市の七夕神社を訪問しました

七夕神社は通称で、正式には媛社ひめこそ神社といいます。祭神は姫社ひめこそ神と織女神です

姫社神とは、日本神話の棚機津女たなばたつめ神と同一のようですが、”ひめこそ”の書き方にも媛社と姫社の2種類あり、縁起を見てもよくわかりません

織女神は中国神話由来が明らかで、日中の織物の女神をちゃんぽんしているように思われました

筑後川の支流を挟んだ老松宮おいまつぐうでは牽牛を祀っており、地上に天の川伝説を描き出しています

今回の目的は、参拝そのものではなく、七夕神社にカササギがいるかの検分です

境内に入る前に、付近の住宅地で発見しました。スマートフォンカメラのため不鮮明ですが、電柱から飛び立つのはカラスではなくカササギです

境内の楠にはそれらしき巣があり、周辺を2羽のカササギが飛んでいました

断定はできないものの、カササギのつがいが七夕神社で営巣しているようです

ここにおいて私は、魏志倭人伝に異議を申し立てます

倭国七夕神社に鵲有り

カササギを発見するまでは、泊まりがけでも七夕神社で観察を続けようという気でしたが、あっさり巡り逢えたため、すぐ近くの城山公園に行くことにしました(マップ星印)

城山しろやま(あるいは花立山はなたてやま)は、筑後平野のへそみたいな標高130mの低山です

山頂の展望台まで軽いハイキングができ、麓には池や温泉もあって、福岡在住時代に度々訪れた懐かしい場所です

平塚に引っ越す直前にも来ており、2年半ぶりの訪問となりました

噴煙を上げる花立山

この日訪れた時には、有史上初めて山頂から噴煙が上がり、天がカササギと私の邂逅を祝しているかのようでした

この時、七夕神社でつがいのカササギを確認したことから、七夕伝説や魏志倭人伝が、過ぎ去った時間の中で凝り固まった遺物ではないと、感じられるようになりました

それらは今なおアクティブであり、訂正も実現も可能だと感じたのです

新しい歴史解釈を提唱するだけでなく、私自ら彦星を名乗って、七夕伝説の再実現を目指すことにしました

(『新釈 七夕物語』の本文とは関係がないため、挿話として掲載)